時代の流れを眺めるゆとりを持つ

皆さん、こんにちは。

人文学研究振興会、椎名です。

さて、今日のテーマは「時代の流れを眺めるゆとりを持つ」です。

「激動の時代」とか「AI全盛の時代」等々、「バスに乗り遅れるな」的な風潮は日々勢いを増していますが、この状態について、皆さんはどのようにお考えになっているでしょうか。

個人的な見方としては、「世間の風潮と自らの目先の問題は、切り離して考えてみるのはどうでしょうか?」とお伝えしています。

確かに、国際社会や国内の情勢、中央の動向など、考える材料はたくさんありますが、「では、それが目先の生活や家族、大切な人を守ることができるのか?」と思うところです。

仮に、それが自らや周囲を守ることにつながるのであればOKで、そうでないのだとしたら、ちがうことを考えるようにすれば、それもまたOK、ということになります。

なので、こういう時代だからこそ、「自分はどのように考えて、それはどのような理由からか?」を持っておく必要があると考えています。

人の答えを借りてくる時代は遠に過ぎ、自分の考え第一に推し進める時代もまた、終わりを告げました。

これから求められてくるのは、どのような時に先人たちの知恵を借り、どのような局面で自らの考えを持っておく必要があるのかを、その時々で考えて判断できる力ではないかと見ております。

もちろん、それは簡単なことではありませんし、一朝一夕で完成しないからこそ「未完の美しさ」を少しでもより良いものに近づけていこうと思えるからです。

そして、「流れが速い」と見ることができているということは、それは一歩離れた視点から冷静にものごとを見ることができていることとも言えます。

流れが速いとわかるためには、少し離れたところから眺めてみないと、そのことに気がつきもしないからです。

同時に、何を学び、何を考え、何を見ておけば、「判断に足る」素材を集めることができるかも、見えてきたのではないでしょうか。

種がなければ苗もなく、実を結ぶこともありませんが、裏を返せば、素材となる種があれば、それは苗となり、実となることは必然です。

本日も、ゆっくりまいりましょう。

最後までお読みいただきまして、ありがとうございました。

人文学研究振興会

椎名