
みなさん、こんにちは。
人文学研究振興会、椎名です。
今週のコラムをお届けいたします。
今日のテーマは
「経営にアート性や文学性が求められる時代の、経営哲学とは何か?」
です。
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最近は少し下火になりましたが、一時、「最高哲学責任者(CPO)」の採用が話題になった時がありました。
日本は西洋好きなとこがあるのと、人間の性質として「ないものねだり」なので、話題になるのも自然なことかもしれません。
ただ、個人的には、日本の場合は哲学よりも文学や言語学のほうが、向いているのではないかと見ています。
なぜなら、日本に哲学が舶来学問として輸入される前から、哲学という学問性を理解できる土壌がすでに存在していたからです。
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これは、人間と言語の特性にもなりますが、そもそもの話として学問に名前がついていなければ、学問として認識ができないのですが、
それ以前にベースとして哲学的な要素が備わっていなければ、いくら輸入学問として仕入れてきても受け入れられず、廃れていってしまうからです。
哲学がやってくる以前から哲学的な素養が備わっていたとしたら、それは何によるものか?
それが文学であり芸術であり、アートであるということです。
ここで芸術とアートを分けているのは、日経やフィナンシャルタイムズ(FT)の日曜芸術欄で紹介される音楽や美術といった伝統的な芸術とは別に、
作品や建造物のような形式美としての芸術ではなく、様式美、つまり、無形文化遺産としての書道や、日本語という言語芸術は、芸術というよりもアートに属するものだからです。
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このように見ていくと、日本における経営哲学というのは、「経営文学」というところに近いと考えています。
というのも、哲学という学問性質は答えを求めていくものですが、文学は世界観を世に問うものだからです。
答えには自ずと限定性があり、範囲の定められた部分のみが正解となりますが、文学には自分で作った範囲を、他の人に見てもらって「それ、おもしろいね」となれば、それでOKなので、こうしたことが成立します。
日本語の寛容性が活かされていくと、今までになかったいろいろな「経営文学」が生まれていくのではないかと見ており、
このコラムが、そうした文化が育まれるきっかけになればと考えております。
最後まで、お読みいただきまして、ありがとうございました。
本日もゆっくりお過ごしください。
人文学研究振興会
椎名